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大好き☆出雲!「出雲はいいものにあふれてる」~佐田編②~

2021.11.24

 出雲ブランド化推進市⺠委員(⼤好き☆出雲!倶楽部)は、地域の魅⼒再発⾒の活動を続け、市⺠や観光客に更なる出雲の魅⼒を発信すべく活動しています。

 今年度は、「出雲はいいものにあふれてる」を活動のテーマとし、地域の「いいもの」を調査・紹介しています。

 4回目となる今回は、前回に引き続き佐田地区の「いいもの」を調査するため、多倍神社(佐田町反辺)を訪問し、鬼伝説などこの地域に古くからある言い伝えや所縁の場所について、地元の西村さんに教えていただきました。

 教えていただいた鬼伝説などの言い伝えやゆかりの場所の一部と委員の感想を簡単に紹介させていただきます!

 須佐之男命(すさのおのみこと)が御魂を鎮めた地とされ、須佐之男命に関係した伝説が数多く残る神話の郷「佐田地区」にぜひお越しください。

【多倍神社(本殿)】

 多倍神社は、目田森林公園の500mほど南に位置していて、米粉パンで有名な「牧場のパン屋さん『カウベル』」も近くにあります。

 約1300 年前の「出雲国風土記」などにもすでに「多倍社」として記録が残る古社で、須佐之男命がヤマタノオロチを退治した際の剣の御神霊を祀ることから「剣明神」といわれているそうです。

【多倍神社で西村さんからお話を聞く様子】

≪鬼のむくろ伝説(諸説あり)≫

 多倍神社の後方の山には、古くから「鬼のむくろ」と呼ばれる奇岩群(天井岩、千畳岩、地獄穴岩、コウモリ洞窟、腰のし岩、みょうご岩など)があり、そこに棲む鬼たちは里に出没しては悪事をはたらき、里人に恐れられていた。この地を訪れ鬼の悪行を耳にした須佐之男命は鬼を退治され、その首を埋め大きな岩で蓋をされたそうです。

≪須佐之男命の鬼退治 須佐版≫

 須佐之男命のヤマタノオロチ退治伝説は有名な神話ですが、須佐の地で語り継がれる須佐之男命伝説は少し違っているそうで、須佐之男命が退治するのは、ヤマタノオロチではなく大陸から渡ってきた山賊なのだとか。

 話の内容が異なる理由は定かではないが、日本では古来から蛇を神聖なものとして扱う風習があるので、ヤマタノオロチ退治では都合が悪かったのかもしれないとのこと。

≪須佐高櫓城(たかやぐらじょう)

 戦国時代、多倍神社の北にある「高矢倉山」にあった山城で、山陰と山陽を結ぶ軍事上の拠点として激しい争奪が繰り返されたそうです。現在、城跡の一部は「目田森林公園」として整備され、地元民の憩いの場となっています。

 

【多倍神社境内の「首岩」の説明を聞く様子】

 須佐之男命が鬼の首を埋める際に蓋に使われた大岩が、多倍神社の本殿裏にある「首岩」だといわれており、この岩を傷つけると血が出ると伝えられています。

 そのほかにもこの地域には、須佐之男命が鬼に網をかけたとされる「網かけ岩」や刀の鍔を抜いたとされる「鍔貫(つばぬき)」という地名など「鬼のむくろ伝説」ゆかりの場所があるそうです。

【多倍神社境内の様子】

訪問取材の感想など

<平田委員>

現在の出雲市佐田町は、出雲国風土記においては飯石郡に属している。

その飯石郡に7つあったとされる郷のうちの1つが須佐郷であり、須佐社と多倍社には神祇官が存在していたとある。

風土記にも記載される存在であった多倍社であるのに、今は須佐神社ほど知られていない。

見晴らし良く整備された大型農道の脇を車1台がようやく通れる道を5分も登ったところに多倍神社はあった。

イチョウの落ち葉が絨毯のように敷かれた境内。

氷雨が降り続く底冷えのする本殿で地元の郷土史愛好家(?)西村さんの話を聞く。

「神話は神話、作り話ですが、人間がこうありたいと願う気持ちを神様に託しているわけです。」という達観。まさに、その通りと納得。

そして、ホントは神話より大好きな戦国時代の須佐郷について熱弁をふるわれた。

尼子や毛利など、時の権力者たちの覇権争いの舞台となったこの深い谷あいの村々。

風土記よりずっと後の時代、鉄の生産地として、徐々に存在価値を高めていったのだろうか?

神社の後方に鎮座する、柵に守られた巨石は、この辺りが屈強な岩盤で成り立っていることの象徴かもしれない。

深まる秋、やがて来る雪に埋もれる季節を思わせるシンとした古社であった。

 

<井田委員>

地元でも認知度の低い須佐之男命「鬼退治伝説」。「だったげな」の口伝え話。

西村さんの話の中には、子どもの頃遊んだ話が次々出てきました。鬼の首を埋めて蓋をした大岩に上がって遊んだこと。今では入山できない「鬼のむくろ」と呼ばれる神社の後方の山の奇岩群の岩々で遊んだことなど。

今、その話を神社に訪れた保育園や小学校の子どもたちに語り継ぐ西村さん。

寒い社務所で熱く語る西村さんは、まさに経験や歴史を伝承し、地域との関わりを深めていく大切な役割「スサノオ人(びと)」でした。

10月から「佐田がんばる塾」が始まりました。1人の力では動かないモノも、みんなで少しの力を出せば動き出す! 佐田を愛する人たちの輪が広がっている・・楽しみです♪

 

<金築委員>

秋深まる多倍神社は、銀杏の黄色と鳥居の朱色のコントラストがとても美しい境内でした。

鬼退治伝説や、城主たちのお話をとても興味深く聞かせていただきました。

こんなにのどかな風景の広がるこの地区でも、はるか昔は戦争があったんだと思うと何か複雑な気持ちがしました。

お話を伺った西村さん、寒い中ありがとうございました。

 

<森脇委員>

冷たい雨の降る中、西村広志さんに、多倍神社の拝殿にて「須佐之男命と鬼退治、鬼のむくろ伝説」について詳しくお話をしていただきました。

多倍神社は須佐之男命が八岐大蛇を退治した剣の御神霊を祀っており、地元では「剣さん」と呼ばれているとのこと。

社殿の後ろには須佐之男命が退治した鬼の首を埋めて蓋をしたといわれる直径 4 mほどの巨石「首岩」がありました。

目田森林公園内にある「鬼の腰かけ岩」もかなり大きいですが、ちょうどそこに腰かけていた鬼の首が入るほどの大きさです。

赤いお稲荷さんの鳥居が映え、銀杏の葉の絨毯がとてもきれいでした。

 

<杉原委員>

今回、多倍神社を初めて訪れました。

境内はイチョウの葉が落葉しており、黄色のじゅうたんのように彩られていました。

多倍神社の後方の山の尾根にある岩山(びくにいわ)は、地元では古くから「鬼のむくろ」と呼ばれていたようです。

昔、炭焼きをしていた頃は、岩肌が見えていたようですが、炭焼きをしなくなってからは、木々に覆われて荒れていると、今回案内をしてくださった西村さんが教えてくださいました。

この日は肌寒く、時折どしゃ降りの悪天候の中でしたが、西村さんは詳しい資料を作って、須佐地域に伝わる神話や、須佐の山城の話を1時間にわたり丁寧にしてくださいました。

その土地に伝わる神話は、やはり地元でないと聞くことができません。こうした人の存在をありがたく感じると同時に継承の大切さも感じたところです。

また、本殿の裏にある大岩は、物理的にも精神的にもパワーを感じる存在でした。